

1991年5月22日、秋田県のど田舎に生まれました。周りは田んぼだらけ。
親父はサラリーマン、母親は専業主婦。
母親に「大学に行きなさい」と毎日のように言われ、漢字テストで1問間違えるだけで馬鹿みたいに怒られる家庭で育ちました。
中学は柔道部。県大会出場を目指す平凡な中学生でした。
高校からレスリングを始め、計10回の日本一とアジアで2位という成績をおさめ、25歳で引退。
県大会初戦で負けるような少年がオリンピックを目指した訳ですから人生分からんもんです。
レスリングを通じて何を得たかというと「チャンピオンになることの大切さ」。
これに尽きます。
社会人1年目から2年目まで、一勝もできない時期が一年間続きました。今まで勝ってた相手にも負けました。
心も体もプライドもボロボロ。何度も辞めようと思いました。いきなり呼吸が苦しくなることもありました。
それでもレスリングを続けることができたのは、チャンピオンになった瞬間の喜びをもう一回味わいたいから。
プレッシャーからの解放、達成感、チームメイトの喜んだ顔、、、
上げたらキリないですが、ありゃドーピングですね。依存性あり。
大坂の殆どはレスリングでできています、って言っていいほどレスリングから得たものは限りないです。
結果が出ず苦しい時、なんのために頑張っているのかっていう光がないとしんどいですよね。
今だにあの感覚を求めている自分がいます、、笑
レスリングを引退して2年間、僕は大手企業で働いてました。
一生安泰なんだろうけど、全然熱くなれなくてつまんなくて。
この間までオリンピックだの日本一だの言ってた訳ですからね。
レスリングより熱くなれるものを求めて転職活動してみた訳ですが、ちょっと変な会社との出会いが。
いつも通り人事の方とweb面談を終え、「ちょっと会社に遊びにきませんか〜。」なんて言われたもんだからフラッと遊びに行ったら、いきなりマネージャー・取締役・社長との面談。
ちょっと遊びにじゃないじゃん!!ってツッコミたくなりましたよ。。
独特だけど居心地は悪くない空気感で面談という雑談が進み、30分くらい話した頃に社長がいきなり、「ちょっとしか話してないけどさ〜、なんかいい感じだよね〜。」って本人目の前にして言っちゃって、その日に内定をもらいました。
「マリオでいうと今会社は1-3ね。ピーチ助けるのは8-4だよ。」
「ここで天下統一するよ。」
「これさ、今日の夜の会で流すムービー。時間ある?見てってよ」
「夜の会、参加できないの?」
「来週野飲み行こうよ」
マリオも戦国時代もお酒も好きな自分。「この人面白れ〜!!」って思いました。
この人とならレスリングより熱くなれるものが見つけれそう!!と思ってちょっと変な会社に入社することになりました。
これがインビジョンと誠吾さんとの出会いです。
オリンピックを目指していた頃を思い出すと、精神的にギリギリの世界で一人孤独に戦っていました。
「オリンピックを目指していた」なんて言うと、キラキラした世界にいたんですね、羨ましい!なんて言われるけど、現実は全く別。
・試合で負けると契約が切られる=職がなくなる
・私生活もままならない怪我をしているのに、練習しなければ勝てないから無茶をする
・さらに怪我をする
の悪循環。勝てない時期が続くと、自分に存在価値はあるのか?とか、謎の不安に襲われるようなこともあって。。
22歳から25歳の時期の話です。自分でも褒めてあげたいくらい、ギリギリの世界で戦っていました笑
「夢を目指す=リスクがつきまとう」と、肌で実感しました。
だからこそ、「夢を目指す人の背中を押して上げれる大人になりたい」と割と本気で思っています。
田舎の柔道少年がレスリングで日本一になってオリンピックを目指そうと決心できたのも、自分を導いてくれた「かっこいい大人」が周りに沢山いたから。
俺を頼ってくれた人を勝たせる人間になりたい。そして、一緒に美味い生ビールが飲みたいです。
レスリング カザフに負けて アジア2位
今度は仕事で 金メダル獲る!