

幼少期~学生:
1993年、女の子として生まれました。
虫取り・仮面ライダー・時代劇の暴れん坊将軍が大好きな子で、路上で見つけたきれいな石をポケットに入れてそのまま洗濯に出してしまい、よく母に怒られていました。
性別に悩むようになったきっかけは、保育園の将来の夢を発表するというイベントです。
「女の子はこの中から、男の子はこの中から選んでね。」という先生の言葉に身体が固まってしまい、子供ながら「男の子の方を選んだら変に思われるかも。」と感じた事は今でも鮮明に覚えています。
ちょうどこの時ぐらいから周りの目が怖くなり自分の感情を押し殺すようになっていきました。
そして身体と心が成長するにつれ、身体の性別と心の性別が一致していないという事をはっきり自覚するようになりました。
とはいえ、それを誰かに話せるわけでもなくそのまま小中高と進学し、あっという間に大学受験目前。
やりたい事がなかったので、とりあえず手に職をつけようと鍼灸師の医療大学に進みました。
が、初めての一人暮らしという環境の変化と、自分の身体の性別を受け入れられない苦しさが人生最大になってしまった影響で体調を崩し、2年生に上がってすぐに退学しました。
フリーター期:
その後は自分探しをしながらだらだらとフリーター生活を続ける日々です。
ある日たまたまネットでミックスバーとLGBTQいう言葉を知り「どうやら世の中には色々な人達がいるらしい。」と衝撃を受けました。
そこから平日はアルバイトを掛け持ち、週末はミックスバーやゲイバーを飲み歩く毎日。
人と話す楽しさに気づき、何より自分と同じように悩んでいる人たちに会えるという安心感を得に行っていました。
そんな日々を2年ほどしていましたが、だんだん焦りの方が強くなってきます。
大人になればやりたい事は自然と見つかるものとぼんやり思っていましたが、ところがどっこい。一向に見つかる気配はありません。
ただ、このまま同じ環境にいても進展はない事だけは分かっていたので、環境も人間関係も変えようとトロント留学に踏み切りました。
これが人生の転機になります。
留学期:
トロントでの生活で、自分の性別に対する凝り固まった考えが「せっかくこう生まれたのであれば活かさない手はない」、「自分と同じように悩んでいる人の助けになりたい」というふうに変わりました。
自分に対して「He」を使ってくれた事。
移民が多い影響もあり、現地の人が多様性に対して受け入れキャパが広い事。
なによりLGBTQの人に対して「Okay, so what?」ぐらい当たり前の存在として捉えている事。
あげればキリがないですが、そういった経験が人見知りの内向的な人間を人好きなオープンマインドに変えてくれました。
ちなみに…
資金をあまり貯めていっていなかったこともあり、一時期はホームレス生活を視野に入れないといけない状況にも陥りました。
自業自得です。
みなさま留学に行かれる時は十分に資金を貯めてから行きましょう。
帰国~現在:
もはや怖いもの無しの状態で帰国した後は2年間飲食で、その後は3年間ホテルで勤務しました。
様々な業務を経験したりたくさんの人と出会ううちに、自分の中で「性別・国籍関係なくその人らしさを生かせる場所作りがしたい」という気持ちが芽生えました。
そのタイミングで前職を退職、20代最後の年に未経験の人材営業職に進もうと決めました。
前職のホテルを退職し、営業職で内定をいただいていた会社に就職しようとするも色々思うことがあり内定を辞退。
進みたい業界・職種は決まっていたので、転職活動を再開した時は「またたくさん応募して選考を受けまくればどこか引っかかるだろう。」という軽い気持ちで考えていました。
甘い。非常に甘い。過去の自分に喝です。
大学中退で学歴がない、過去の勤務期間も2~3年、未経験職種&業界という前提と、なにより自己分析がきっちり出来ていない状態で転職活動を進めたので、まぁ見事にどこも受からない。
60社ほど落ちたぐらいに心がポッキリ折れて、年末の1か月ほど転職活動をお休みしていました。
だがしかし、何もしない時ほど人間はくよくよ悩みがちです。
「このままじゃあかんなぁ….。ホテル辞めた意味なくなってまうな。」という猛烈な焦りから自分に発破をかけて、そこからインスタやYOUTUBEで自己分析のやり方や面接対策の情報を収集しまくり、家で猫相手に面接練習の日々が始まりました。(猫、あの節はありがとう)
そんなふうにもがいていたある日、人事職の友人と食事に行きました。
その時にWantedlyいいかもしれんよという事を聞き、これはいいこと聞いたと帰ってから早速アプリをダウンロードしました。
そこで新着記事であがっていたインビジョンの求人題名に惹かれて思わずクリック。
まず目に飛び込んできた【働くかっこいい大人を増やす】という文言に最初は「え。大丈夫そう?怪しい会社?」という疑いから入りました。
というのも、昨年内定を辞退した会社が表面上は想い強め・でも実態は中身すかすかという失敗経験をしていたからです。
そんな警戒心マックスの状態で読み進めていくうちにおダシというワードが目に入り、ぼんやり記憶が甦りました。
さらに読み進めていくうちに「ちょっと面白そうかも」という気持ちに変わり、ホームページに偵察に行きました。
そしてトップの【企業や地域にも、おダシが必要】という文言が目に入った時に思い出したのです。
前職のホテル支配人をしていた時に営業電話を受けた事と、その時の電話口の営業さんの爽やかな印象とおダシ採用という強烈ワードを。
そこからがぜん興味が湧き、事業内容と常連さんの声、メンバー自己紹介などホームページ内をくまなく読み漁りました。
夢中で読み進めた結果、初めの警戒心はどこへやら、「99%の疑念と1%の興味ある」が「99%の働きたい!と1%の疑念」に打って変わっていました。
その勢いのままWantedlyで話をきいてみたいボタンをぽちっと押し、ドキドキしながら返信を待っていました。
そしてはじめましてで智菜さんと会い、残り1%の疑念もあっさり無くなりました。
役員クラスの人が終始にこにこしながらこちらの反応を見て対話してくれる態度に、気づけば本音をするする話していました。
ありがたいことに、その後も順調に選考を進むことができ小川さん・真さん・代表の誠吾さんにお会いする事になりました。
そして迎えた最終面接の日。
今までの面接とは違い、携帯の画面越しでも緊張感が漂っているのが分かりました。
「船に乗るだけじゃなくて、一緒に漕いでくれる人が欲しい」という誠吾さんの言葉に、嚙みながら自分なりに一生懸命答えたことはすごく覚えています。
そして運命の最終結論を出す時間。
A4用紙に書かれた誠吾さんの「こちらこそ」の言葉と人懐っこい笑顔を見た時、安堵と共に全身からどっと汗が出ました。
悩んでる人、止まってる人、そして20年前の自分へ。
今の自分をご機嫌にするもしないも自分次第。
せっかく自分に生まれたのであれば、
今の自分にしかできない事を成し遂げようや。
それで同じように苦しんでたり悩んでいる人の背中を押せる人になろう。
人生すべて、自分次第やで。
変わりたい いつでも変われる ありのまま
想いの火種が スタート地点