守られていたことに気づいた日

2025年5月。インビジョン入社10年目。不惑の40を迎えた。けれど、胸の奥は惑いっぱなしだった。
ここに居続けるべきか。それとも違う道に舵を切るべきか。
当時は正直、荒んでいた。報われない開発ばかり。仕様変更に振り回され、先方の鶴の一声でひっくり返るコンセプト。
かけたリソースと成果の落差に心が削られていく。未来図は灰色に濁っていった。
インビジョンの信念である「人と人とのつながり」。自分の子どもの名前の由来にした大切な言葉すら、色褪せて見えていた。
グラついているときに限って、隣の芝は青い。給与だけを基準に、転職活動を始めていた。
提示されたのは、今より高い数字。
誰にも相談せずに、その数字に手を伸ばそうとしていた。
ある夜のオフィス。
「相談できない関係性だったのか!」
怒号の中に悲しみが宿った声が響いた。声の主はCHROのちなさん。
入社以来、何度もぶつかり、何度も笑い合い、何よりインビジョンを一番語ってきた人だ。
長い付き合いだからこそ、小山の異変に気づいたのだ。
誠吾さん、ちなさん、執行役員になったばかりの大地くんと向き合い、話し尽くした。
涙が滲み、コンタクトが外れそうな視界の中で、「退職はしない」と腹をくくった。
けれど、未来図にまだ色は取り戻していない気がしていた。
地元・宮城でのリアルセミナー
2025年5月29日。河北新報と共催の採用セミナー。
これまでオンラインばかりだったが、今回はリアル開催。地元・宮城の地で。
セミナー開催2週間前に一人で焦っていた。今回はオフラインと同時にオンラインでもセミナーの様子を中継する。
新聞広告からの申し込みは一定数あるものの、ほとんどがオンライン参加。オフライン参加ははまだ一桁。
何とかしなけれならない。自身のSNSでセミナーの告知、仙台の企業に片っ端から連絡。
3日前には大学時代の友人のマサに「とにかく来てくれ」と頼み込んだ。
当日の朝まで連絡をかけ続けたが、オンライン参加は増えるものの、オフライン参加は定員に到達しないまま、本番を迎えた。
ところが 会場は満席だった。
河北新報の社員の方々が「勉強のため」と足を運んでくれたのだ。
河北アドセンターの方が、小山が前日にお土産として渡した実家のコヤマ菓子店の「はまぐりもなかくっきー」を配りながら声をかけてくれていたという。
セミナーを成功させたいという想いはみんな同じ、一人じゃない。
セミナー開始前からこみ上げてくる感情でコンタクトがズレそうになった。
人のつながりが、目に見えない糸のように会場を満たしていた。

セミナーは順調に進んだ。
最後は噛みながらも自分の気持ちを伝えた。
「震災のとき、私は東京にいましたが、父と兄は気仙沼の河北新報ビルに避難して、命が助かりました。河北新報は家族を守ってくれた命の恩人です。家族を助けられた河北新報で河北の仲間とセミナーができていることに感謝しかありません。ありがとうございます」
満席の会場を見渡した。参加した企業さん、大学時代の同級生、河北新報、河北アド・センターの方々、そしてインビジョンの仲間、この光景は絶対に忘れない。また涙があふれ出そうになった。
そんな夜の酒は心に沁みるほどうまい。
セミナー後は河北新報、河北アドセンターのみなさんと飲み会。
「やっぱりリアルが一番伝わりますね」と誰かが言った。
そうだ。肌で感じる空気、視線、声のトーン。あれはオンラインじゃ伝わらない。
杯を乾かすと書いて「乾杯」。その宴では何度乾杯しただろうか。
宴の最後は小山が酔っぱらうと時に発動する寅さんの「物の始まりが一ならば、国のはじまりが大和の国・・・」で締め。

気づけば新幹線発車20分前。お店から駅まで徒歩15分。
河北新報さんと一緒に改札まで全力疾走。
「小山さんが気仙沼に行かないように見送ります!」
笑いながら東京行きに飛び乗った。
忘れられない誕生日。人生の走馬灯に確実に出てくる二日間だ。
そうだ「故郷に恩返し」だけじゃ足りないかも
あの日から考え続けていた。
「舟を漕いで漕いで、たどり着いた島が無人島だと思っていても、探せば必ず人は住んでいる」
そう実感した。人とのつながりは資産だ。
故郷での人のつながりに改めて感謝した。
これまでのビジョンは「故郷に恩返し」だった。
故郷のために何かしたい。それは大事だ。
でも、それだけを掲げるのは、自分らしくない気がしてきた。
言語化するためにメモに書き出した。
・恩返しに具体性がない
・達成したことで恩返しに感じてしまう
・故郷以外にも恩返しをすべきでは
・好きな場所を残したい
・好きだと思っている場所を残す
・残し続けたい、残っていてほしい、守りたい
・成し遂げたい
生まれ育った町、住んだことのある場所、大事にしたいと思った人や文化や歴史を失くしたくない、残しておきたいと思うだけの男だった。
故郷とか関係なかった。大学時代に通っていた中古レコード屋に18年ぶりに訪れた。
入った瞬間の独特の匂い、変わっていないレイアウトに思わず笑みがこぼれたと同時にこの空間を守っていきたいと思えた。

ビジョン「ルーツと縁(えにし)を守り続ける」
自分と向き合い続けて、ようやく答えにたどり着いた。
「自分はルーツと縁(えにし)を誇りにして生きている」
育った環境、好きな文化、出会った人たち、それが自分の構成物質だ。
だから、その誇りをそのまま持ち続けたい。
トップロープの最上段からフットスタンプをくらったくらいの衝撃で、ようやく腑に落ちた。
ビジョン「ルーツと縁(えにし)を守り続ける」
灰色だった未来図に彩りを取り戻す瞬間でもあった。
「守る」と言って実は自分が守られていた
河北新報とのセミナーは、ビジョン「ルーツと縁(えにし)を守り続ける」の想いがカタチになった瞬間だった。
「守る」と書いたが、気づけばずっと守られていた。
縁に支えられていて、ルーツがずっと、自分の心を守り、折れずにいられる支えになっていた。
そう気づいたとき、心の奥に静かな安堵と感謝が広がった。
もう道を違えないと腹を決めた。
ルーツと縁を守り抜く、それが自分の進む道だべ。
『気仙沼ドローン内定式』
この記事を書いた人

ゼネラルマネージャー
起爆屋/プロダクト