嬉し恥ずかし、ふるさと秋田の新聞掲載

あきた人

このコラムを書き始める前に、「ふるさと」の意味を検索した。

AIによると…一般的に「生まれ育った土地」を指すが、広い意味では「昔からなじみのある土地」や「心の拠り所」を意味することもできる。との回答。なるほど、ふるさとって1か所じゃなくてもいいんだ。私にとっての「心の拠り所」は…。

そんなことを考えながら書くこのコラムは、私が生まれ育った”秋田”を代表する老舗の日刊新聞「秋田魁(さきがけ)新報」に、私の記事が掲載されたというお話。20年以上前に秋田から上京した私が、なぜ地元新聞に掲載されたのか、偶然か必然か、いろんな縁がつなげてくれた今回のエピソードをここに残させてもらいます。

それは突然、「あきた人」って知ってます?から始まった

10月初旬、営業のこばさんから突然のチャット。

こばさん:「あきた人」って知ってます?

根岸:聞いたことないですね。

こばさん:根岸さん取材されますw

根岸:もう秋田に住んでないんですが…。

こばさん:子供に自慢できますよ。

こんなやりとりから始まり、12月7日(日)秋田魁新報の朝刊と電子版に掲載されました。

インビジョンは、これまでに20社の新聞社と業務提携を結んでいる。その中で秋田魁新報と提携を結んだのは約1年前の2024年11月。秋田魁新報社と共に秋田県が抱える地域の雇用課題に取り組んでいる。その経緯があって今回、新聞掲載の話をいただいたのだ。「あきた人」は、秋田県にゆかりのある人の人生、仕事、地域への思いを深堀りする企画。ということで、社内で唯一の秋田出身者である私に声がかかった。

ほぼ決定事項として連絡を受けた時は、正直「嬉しい」よりも「恥ずかしい」が勝った。人前で話すことも苦手で、取材される側を想像しただけでドキドキしてしまう。地元の新聞に掲載されるなんて、絶対知り合いに見つかるじゃん。

案の定、見つかった話は後半に。

必然的に導かれた、インビジョンとの出会い

話は過去に遡り、私がインビジョンに出会ったのは2021年の春。コロナ真っ只中の時期に、私は転職先を探していた。求人原稿に書かれたターゲット像を自分のことだと思い込み、コーポレートサイトを見ては『志』に心を打たれた。この出会いは偶然ではなく、必然だった。

そんな思い込みから、コーポレートサイト内にあったメンバー紹介ページに自分が載っていることを妄想した。普通なら妄想でやめるが、私は自分の紹介ページを書いて面談に持参した(笑)その時の私は、インビジョンのメンバーになることしか考えていなかった。

インビジョンメンバーの紹介ページは、良い意味で赤裸々で、だからこそ人間味があって、そこに魅力を感じた。このメンバーと一緒に働きたいと思った。

2021年4月に入社して、もうすぐ5年が経つ。リモートで仕事の日も多いが、週1〜2回の出社時は、いつも誰かと話しているくらい、ここぞとばかりにコミュニケーションを取っている。正直、こんなに何でも話せる場所になるとは思っていなかった。なんだかんだ、ここも「心の拠り所」のひとつになりつつあるのかもしれない。

この必然的な出会いがあったから「秋田魁新報社」と関わることができて、新聞掲載の機会をいただくという縁につながった。
前のめりに書いて来た紹介ページはこちら

取材から10日後の新聞掲載

今回の話は本当にありがたい限りで、取材の日程調整連絡をいただいてからは、あっという間に記事掲載まで進んでいった。

取材は11月27日(木)、東京支社・編集部長の荒川さんが中目黒の本社に出向いてくださり取材が行われた。(ウェルカムボードは、加藤さん作のなまはげでお出迎え)

事前に聞いた質問内容の回答を考えていたが、結局その場で思いつくままに話した1時間。恥ずかしいと言いつつおしゃべりな私の回答量は、記事にまとめるのに苦労したと思う。事業内容から私自身の業務内容、上京後の経歴をベラベラ話したと思う。

取材していただいた荒川さんは、もちろん秋田出身者。私の実家がある湯沢市の支店に勤務していた時期もあるという話から、リアルすぎる地元話で盛り上がった。地元の話を会社でしていることがなんだか不思議な気分だった。これも数々の出会いがつないでくれた縁。

「12月中の掲載を予定しています」と言って終わった取材。年末くらいになるのかな、なんてのんびりしていたらなんと、取材1週間後に記事内容確認の連絡が入った。社内チェックが完了して、掲載されたのは12月7日(日)と、取材からわずか10日後だった!

私自身、お客様の採用サイトやダシマス(働く人のインタビュー記事)の制作をしているが、インタビューから10日で掲載というということはないため、新聞掲載のスピード感には正直びっくりさせられた。

もう一つのびっくりは、掲載から4日後にあった同級生からの連絡だ。なんと彼の同僚が新聞を読んで、地元企業の採用活動や事業の連携について話をしたいとの相談だった。

ひょっとすると、、、これがまた新たな縁につながるかもしれない。

そういえば私、秋田魁新報を配達してたんだ

そういえば高校生の頃、新聞配達をしていたな。忘れかけていた記憶がよみがえる。秋田魁新報や河北新報を、晴れの日も雨の日も大雪でも、父と一緒に配達したのは良い思い出だ。新聞配達が、私にとって初めての仕事経験だった。

今も実家に住む家族は秋田魁新報の愛読者で、祖母も母も叔母も兄もみんな新聞を毎日読んでいるようだ。「あきた人」が毎週日曜掲載の記事だということはもちろん知っていて、知らなかったのは関東に住む私だけだった。

掲載当日、1番に連絡をくれたのはなぜかオーストラリアに住む友人からだった(笑)きっと彼女の実家(秋田)から連絡が入ったのだろう。他の友人や先輩、親戚からも連絡をもらって、何だか不思議な気分だった。友人の1人から「「自分のことのように嬉しい、刺激を受けたよ」という言葉が印象に残っている。

こうやって秋田とつながることで、ふるさと”秋田”に対する想いも強くなり、薄めだった「秋田愛」が濃くなったように思う。秋田は間違いなく、心身ともに私の素を作ってくれたところで、秋田にいた18年間の出会いがあったから今の自分がいる。

今回の取材で、自分の業務が企業と求職者に…秋田の企業と秋田の求職者のつながりをつくることに関わっていることを改めて実感する機会となった。誰のため、何のために働いているのか、考える時間を与えてくれた秋田魁新報社とインビジョンに感謝したい。貴重な機会を本当にありがとうございました。

この記事を書いた人

根岸 春香

鼓舞屋/カスタマーサクセス

根岸 春香