インドで見つけた究極のインサイドアウト

「なんであなたはここにいるんですか?」

新年度の節目、4月1日。インターンとしてチームに加わって間もない私にとって、はじめてのキックオフ。19期の幕開け、テーマはJOBTRIP。
全国の社員さんがインビジョンの中目黒本社に集結する日。今年度の目標や戦略、自分自身の伸びしろについて本気で語り合う。そのアッツアツなカルチャーに触れ、気づけば私もアツくなっていた。

そんな中、社長の誠吾さんがみんなにある問いを投げかけた。

「なぜあなたはここにいるんですか?」

社員一人一人の人生のテーマや内側の想いと、会社の進む方向が一致していることを重視するこのチーム、なんて素敵なんだろう。

社会的なモノサシを壊したくて、インドに体ごと突っ込んだ

高校時代、進学校に通っていた私は、毎日毎日山のような課題に追われていた。
ひたすら与えられた正解を暗記し続け、高い偏差値をとり、上位の大学に進学し、高収入の大企業に就職する、というレールの上での競争。
偏差値や成績だけが私の価値を測る指標だった。
私はどんな人間なのか、何を大切に生きているのか、この人生で何がしたいのか、そんなことは一度も聞かれなかった。
学校の外の社会でも、スキルや肩書きなどの市場価値が人を判断するモノサシになっていて、その人がどんな人なのかはあまり大事じゃないみたいだった。
そんなモヤモヤを抱えながら偏差値競争の中でもがくうちに、自分が何者で何がしたいのか分からなくなっていった。まるでお勉強マシーン。

そんな時に出会った、『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』という本。
インドには、1000年以上前から伝わる、バウルという修行僧がいるらしい。
自分の心の奥に眠る本当の自分を探すため、歌いながら修行する人々。
国籍や性別、宗教などの枠組みで人を分断することを超越する究極の平和思想。

なんなんだ、この人たちは。
私も、裸の自分に出会い直したい。社会のモノサシの外に立って、今後どうやって生きていくかを考えたい。

“バウルの目を見て話したい。その生き様を肌で感じたい。”

そんな思いが抑えきれなくなり、リュック1つでインドに飛び込んだ。

お皿洗いしてたら、「愛を持って生きろ」と修行僧に怒られた。

泊めさせてもらったバウルのマー(仮)の家でお皿洗いをしていた時のこと。
私は、お皿洗いをした後、洗い場の掃除をせずに「お皿洗い終わりましたぁ!」とタスクを完了した気になっていた。
すると、洗い場を見たマーに、「他人に対する愛があったら、みんなが気持ちよく過ごせるように洗い場まで綺麗にしようと思わない?」と怒られた。
他人への思いやりなどまったく念頭になかった私。
自分を恥じると同時に、「えっ、愛ってこんな細かいところまで宿るの!?」「バウルの教えってこんなに日常まで広がってるの!?」とびっくりした。

するとマーが、
「私は、バウルって、一瞬一瞬を善く生きるための在り方のことを指すと思う。」と教えてくれた。
瞑想や歌の修行は、その瞬間に高い次元に行くためだけでなく、そこで得たことを日常生活に取り入れ、毎日を善く生きるためにやっているらしい。
自分の心を探ること、愛で満たすこと、自分の内にある善と悪の善の方を選択すること、、、そんな、生きるための指針。

バウルは非常に多様なので人によってバウルの定義は違うし、底なし沼のように深い密教なので私が知ることができたのはほんのさわりの部分に過ぎない。
だけど、”人を愛し、善く生きること”というバウルの在り方を身をもって感じることができた。


インドの道端で生きるおっちゃん、バウルと同じ目をしてた。

バウルの家を出て、一歩インドの街に踏み出すと、音も色も匂いも過剰な喧噪が私を包む。
道端でくつろぐ牛、クラクションを鳴らして爆走するバイク、屋台から香るスパイスの匂い、ゴミの山で寝る犬、女性が纏う色とりどりの美しいサリー、物乞いの子供、じりじりと頭を焦がす太陽。
あついなぁ、喉乾いた。そうだ、サトウキビジュース飲も。
インドの道端には、屋根より長いサトウキビを絞ってサトウキビジュースを作るジュース屋さんがいる。

薄汚れたタンクトップを着たおっちゃんに「ひとつください」と頼む。
心の中で無意識に「貧しくて生活が苦しいだろうな、可哀想に」と彼を哀れんでいた。
しかし、おっちゃんは、「俺のジュースは果汁100%で世界一おいしいゾ」と誇らしげに楽しそうにサトウキビを絞っている。
「ほら」とジュースを手渡してくれた彼の目は、バウルみたいに明るくて愛に満ちていた。

かっこいい…

勝手に彼に憐みを抱いた自分に腹が立った。
他にも、トゥクトゥクのドライバー、チャイ屋さん、露店で石を売るおっちゃん、などなど。道端でたくましく生きる、バウルみたいに深い目を持った人たちに出会った。

彼らは、目の前の環境ありのままを引き受けて、その上で全身全霊で生きている感じがした。そのマインドセットの背景には、生まれた時からヒエラルキーが固定されているカースト制度や、カーストの役割を全うすることがより良い来世に繋がるダルマという概念など、宗教的・文化的な考え方もあるだろう。
とはいえ、世界線の違う私にも、彼らの生きる姿勢は当てはまる。これまで、どれだけ目の前の環境を引き受けて、一生懸命生きてきただろうか。

何をするか、よりも、どう在るか。

聖者バウルも、道端で生きるおっちゃんも、目が同じくらい明るくて深かった。堂々と胸を張って生きていた。
全力で生きていて、目の前のことを楽しんでいて、他者への愛を持ってたら、人って輝くんだな。職業とか年収とか外側よりも、モノサシは自分の内側にあるべきなのかも。心が生きているか否か。何をするか、よりも、どう在るか。

インドに行く前、これからの生き方について悩んでいた私は、生き方=選択する職業のことだと思っていた。でも、どう生きるかって、目の前のことを心から楽しんでいるかとか、周りへの愛を持っているかとか、善を選択できているかとか、そういうことを指す方が今はしっくりくる。生きるってそういうことだよな。

そんな時に思い出すのがインビジョン。智菜さんが語ってくれた”インサイドアウト”。自分の内側から湧き上がってくる想いがそのまま働くことに繋がること。
みーんな、働くって楽しい!!を爆発させながら本気で働いてる。忠恕やご機嫌、自責を大切にする文化。善く生きることが働くことに直結している。
インビジョン、最高にインドじゃん。インビジョンでかっこいい大人たちに囲まれて、生き方を模索していけることを心から嬉しく思う。

社会は人の集合体。インサイドアウトが当たり前になれば、インドのおっちゃんのように明るく深い目をした人が増えて、心のこもったサービスが広がって、人と人の繋がりに重きが置かれるようになるだろう。それって、すごく素敵だ。

最後に紹介したいのが、バウルのマーとの会話で印象に残っている一節。
私「Is your religion Hindu?(あなたはヒンドゥー教徒ですか?)」
マー「I’m just a human. (私はただの人間です)」

たかが人間、されど人間。一人間として、善く生きたい。
だから、私はインビジョンにいる。


▼そんなインビジョンのコンテンツ、良ければ巡ってみてください。
https://www.invision-inc.jp/media/