メンバー

心があるかないか

インビジョン入社前の経歴

両親から学んだ"心"

1990年4月30日誕生。
千葉生まれ。栃木県育ち。
父親が自動車メーカー、母親は専業主婦。
「ありがとう」「ごめんないさい」をしっかり言えるように育てられた。
■サッカーとの出会い
幼稚園の年長さんの時に、友達と二人でボールを蹴って遊んだことがきっかけでサッカーに興味を持つ。
授業でみんなでサッカーをやって夢中でボールを追いかけ、楽しんでいた。
小学2年生からサッカー部に入部したが、監督がいない時といる時の練習態度に温度差がある選手が多く、この時から筋が通っていない行動に違和感を覚えていた。
2002年私が小学6年生の時に、日韓ワールドカップが開催された。テレビの中で優勝に向けて戦う姿を見て、テンションが上がっていた。その中でも、スペイン代表のFWラウール選手やイタリア代表のDFカンナバーロ選手に憧れ、お昼休みは毎日友人とその選手の真似をしながらサッカーで遊んでいた。

以前から両親にはサッカー部の違和感のことは相談していて、タイミングよく栃木SCジュニア1期生の選考会が開催されることを教えてくれてそれに参加させてもらえた。
見事合格し、小学6年生から中学3年生までの4年間、栃木SCにお世話になった。
運良く、監督やスタッフ、友人、家族に恵まれ中学1年生の時から多くの出場機会をいただいた。
この経験は非常に大きかった。相手チームは、ほぼ全員が3年生。上手い上に体も大きく、悔しい思いをすることの方が多かったが、必死で食らいついた。
私はDFだったので、相手の選手に股を抜かれて相手ベンチがとてつもなく盛り上がっていたあの光景は、今でも忘れない。
自分が3年生になった時には、栃木県の大会の優勝は常連だった。県内ではNO1のチームだったと思っている。ほんとにチームに恵まれていた。

■挫折
高校に入り、挫折を味わう。
2年生の途中から、スタメンで試合に出る機会が激減した。
「クラスの担任でもある監督と言い合いをしたからだ!」と、当時はそれが原因だと思っていた。
監督は本当に嫌いだ。人間として。
3年生になり、レギュラーから完全に外れ、後輩が出場している試合が多数。
後輩が試合に出て、自分がベンチにいるという状況。本当に辛かったし、初めての経験だった。
なぜ自分がでれないのか理解できず、苛ついてしょうがなかったし、正直他人のせいにしていた。
次第に後輩への風当たりも強くなり、ますます人として良くない方向へ向かっていた。
ただ辛いし、次第に自信も失ってくる。
毎日、全体練習終了後も残って練習し、家に帰ってからも走りに行った。
悔しくてしょうがなかった。

そんな中でも、コーチや友人、家族の存在は本当に大きいと今だから思える。
自分が辛いときに、寄り添ってくれたコーチや友人、家族の”想い”は今でも忘れない。
父親には、朝早く起きて通勤前に駅まで20分かけて送迎。
母親には、朝早く起きて朝ご飯とお弁当を作ってもらい、駅までの帰りの迎え。
本当に感謝しかないし、一生頭が上がらない。
自分の子供(未桜と蒼人)がピンチのとき、どう向き合うべきなのかは、すでに両親から学んだ。ありがとう。

そして高校最後の大会である、全国高校サッカー選手権。この大会に出るために高校サッカーをやっていたと言っても過言ではない。
もちろんスタメンではない。
県大会決勝戦の1−2で負けている状況の後半残り10分間の出場機会だった。
そしてその試合で、自分の高校サッカー生活は終わる。
このときの複雑な心境は、今でも鮮明に覚えている。
グラウンドでなんかさっぱりした気分だった。
もしここで決勝戦に勝利し全国大会に出場が決まっても、正直サッカー部を辞めようと思っていた。
決勝戦の相手は今まで負けたことのない相手であったが結果は負けた。
試合に出られなかったのは、自分の実力不足でしかないということと、プロセスは重要であるが、結果を出すことが一番大事だということが今になって実感できている。
負けるべくして負けたなと。日頃のチーム行動がもたらした結果。いくらいい選手が集まっても勝てない。

■大学そして就職
2009年4月、埼玉にある大学に進学。
ずっとプロサッカー選手を目指してやってきたが、大学2年の途中からプロは厳しいなと考えていた。
大学最後の試合で、中田英寿選手のチームと試合をする機会を頂いた。
そこで、パスの精度やタイミング、体の使い方など全てにおいて、実力の差を見せつけられた。サッカー選手はきっぱり諦め、他のことで勝とうと意思決定した。

2013年4月、アシックス商事に入社。
ブランドの凄さを知る。
今思うと仕組みがズバ抜けていたなと。当時従業員250名で売上350億、経常利益率も高い。
決めれらたルールに基づきオペレーションの徹底がエグかった。改めてすごい企業。
今の自分がいるのは、アシックス商事に務められたということが本当に大きい。
靴の企業でありながら、渋谷駅構内にポップアップショップを出店したり、某レーシングチームのスポンサーにもなり、そこの関係者の方々と関わる機会にも恵まれ、私の今後の人生に繋がっていく本当に貴重な経験をさせて頂いた。
今後、尊敬し続けるであろう、当時のマーケティング部の責任者の方には感謝しかない。
本当にありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願いいたします。

インビジョンに入社した理由

心がある企業との出会い

屋上に呼び出されて直接女の子に告白されたような名シーン。
「コバと一緒に働きたい」
何よりもその言葉が本当に嬉しかった。
誠吾さんに直接言ってもらったこの言葉が入社を意思決定した理由。

2019年1月7日よりインビジョン㈱にジョイン。
正直、知らない企業の一つだった。
インビジョンとの出会いは、グロービスの講義でちなってぃとあったところから始まる。
当時、福利厚生でグロービスに通わせてもらえる機会があり、自ら挙手をして通う機会をつかんだ。
実際、自分の中でこのままで良いのかという問いもずっとあり、もやもやしていた時期でもあった。
そんな時、グロービスのクラスで一番最初に友達になったのは当時41歳くらいのおっさん。よくよく話を聞くと社長だった。
このおっさんは今でも飲みに連れていっていただく仲。
好き嫌いが激しい部分はありつつ、結構仲良くなれるタイプではあるが、その中でもこいつやべーなって思ったのがちなってぃとの出会いだった。
グロービスのクラスは30名で構成させれていて、一番年下がちなってぃ、その次が私それ以外は全員年上だったのだが、その中でも一番”仕事って楽しい”が伝わってきた人物だった。
話を聞いていると、私は福利厚生できて、ちなってぃはお客さんにその分の売上を乗せてもらってきていると。
なんだこのスタンスの違いって。と衝撃が走ったのを鮮明に覚えている。
そこから、インビジョンってどんな会社なんだろうとか、どんな社長なんだろう、どんな人たちが働いているんだろうと調べる機会になった。
2018年10月改めてちなってぃに転職活動していることを伝えると、遊びにおいでよと言ってくれた。
会社に遊びにおいでという今までに無い感覚に正直笑った。
本当の”ヒト”の部分を見る企業があるんだなーすごく印象に残っている。
実際にオフィスに遊びにいき、ちなってぃと話をした後に、エレベーターへ向かい、エレベーターのドアをまっすぐ手を伸ばして止めて食事に向かった。
結果的に、代表吉田、タギー、タギーの友人、ちなってぃ、私の5人で食事。
意味不明なメンバーだったけど、一緒にいて楽しかったし、裏表が無いナチュラルな会で未来に前向きでいるその環境が何よりも心地よく、更にインビジョンに興味を持つきっかけになった。

後日、誠吾さんに直接時間がほしいと連絡し面談。
そこで、将来のビジョンや仕事内容、マリオに例えたストーリー、そして天下統一。
エレベーターのドアをまっすぐ手を伸ばして止めたことも功を奏し(笑)、その日に「一緒に働きたい」と直接言って頂き内定を頂いた。
ストレートに伝えて頂けたことは本当に嬉しかった。
誠吾さんとちなってぃの人間性と仕事に打ち込む振り幅に惹かれたのと、今までの生き方は改めて間違っていないことを確信した。

入社後の光と影

とりあえず飲みに行って仲良くなろうはやめた

とりあえず飲みに行って仲良くなろう から 
この人は心があるかどうかを見極め、自分が仲良くなりたいかどうかで決める。

入社前でいくと、とりあえず誰とでも仲良くなっておこうという考え方は自分の価値観として割合は高かった。
繰り返して行く中で、結構上辺の付き合いで自分が無理していることにも気づく。普通に疲れるし、なかなか成果にも結びつかない。何も残らないこの感覚。
誘われた方も困っていたことだろう。笑
とりあえず仲良くなれば仕事がもらえるだろうという甘っちょろい考えが根底にあったんだと思う。基準が自分軸だったなと。

ある日、新聞社さんとの企画で老舗企業に取材をする企画をすることになり、地方企業の100年以上続く企業の社長約20名のインタビューを行うことになった。
質問内容としては、なぜ100年以上も続いているのか、大事にしていることは何かなど、価値観に基づく内容であった。
かっこいい社長で共通していたのは、主語が”我々”や”チーム”で自分軸ではないし、300年続いている郡山の酒蔵の社長は”次世代”を見据えて、直近の利益ではないと言い切っていた。
次世代のことを考えている文化がずっと続いているからこそ、自分の代でも次世代を当たり前のように考えてはいけるこの文化は何よりもかっこいい。
更に、100年以上続いている理由を伺うと、必ずと言っていいほど、”お客さんのお陰””目の前のことを一つ一つクリアしていった結果続いた”とか意味がわからないくらい謙虚というか、それが嘘偽りないトーンで言われるもんだから、
それが正解なんだと。

これを機に私もなるべく”我々”と主語を変え、チームとして考える機会が増えるようになったと思う。(まだまだだけど)
時間の使い方も、この人は心があるかを見極め、相手の意志は関係なく、自分がその人と仲良くなりたいかどうかで決めようと。
その決定をしてからは、飲みに行く頻度も減少し、本当に大切な人と過ごせる時間が増え、よりナチュラルに過ごせる時間が増えた。

エネルギーの源泉

人間としての心があるかどうか

人間としての心があるかどうか。これが全てだと思う。
結局、人が集まってくる人というのは、心があり温かい人で嘘をつかない誠実。
自分の子供には間違いなく、人間としての心を大事にするかっこいい大人になってほしいからこそ、今自分も一歩一歩頑張ろう。

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