メンバー
人生はバイブスとフィーリングでしかない。生涯フリースタイル。
インビジョン入社前の経歴
敷かれたレールを歩いてきた。
僕には3つ上の兄と5つ上の兄がいる。
僕が小学一年生の時、次男が小4、長男が小6だった。
校庭に猿が出たから教室から出ないでくださいって校内放送が流れて、速攻見に行った。
そしたら兄弟全員校庭のど真ん中に集まってて、他の生徒は誰もいなかった。
そのまま3人とも校長室に連れてかれて、母にしこたま怒られた。
校長先生には仲の良い兄弟だな〜てお茶とお煎餅を出してくれた。
中学時代は音楽の授業中にみんながピアノを囲んで合唱してるところを、ずっと友達と後ろでプロレスしてた。
音楽の先生からは、他の生徒達に迷惑かけないなら後ろで遊んでても良いからって。
「え!?まじ?いいの!!!?」
通信簿に音楽は「1」をつけられた。衝撃。
「え〜〜!??プロレスして良いって言ってたじゃん!。」
高校には柔道で特待生を貰えることになったのだが、
そのまますんなり進学出来るかと思えば、まさかの中学校側からのお断り。
前例として悪すぎるから特待生なんかで行かせられないと。中学側から断るは聞いたことない。
やばい、非常〜にまずい。
なんとか補習とかしてオール2で卒業。(体育と美術は4だった。)
無事進学。人生初の快挙。マジで。
#横浜高校編
次男が行ってたということもあり、入れ替わりで高校は神奈川の強豪校、横浜高校柔道部に入る。
まさに校庭に猿が出れば見に行っちゃうような人が集まる動物園のような学校。
しかも男子校のスポーツクラス。3年間、席替えもクラス替えもない。体育祭や文化祭もない(スポクラだけ)
5時間授業で後は練習しろっていうのが学校の方針。
ひたすら練習しまくってた。
入学当初は、色々な地域で強かった奴らが自分が1番だと思って集まる。
お互い舐められないようにほぼ挨拶もなし。
(まるでプリズンブレイクシーズン1のマイケルスコフィールドみたいな立ち回り)
自分もその一人だった。
そして速攻出鼻を挫かれる。
陰険な先輩達。そして強いから逆らえない。
まさに超体育会系の構図。
一年生同士で争ってる場合じゃない。
団結しよう。
人生で初めてチーム力を感じた瞬間だった。
1番謎だったのが、先輩がシャワータイム中に話し相手になる「ガーディアン」という謎の一年生の役割があった。
生きる術を学んだ。
今の人生の糧になっていると思う。
インビジョンに入社した理由
恩を返したいと思える人がいることは、人生の財産だと思う。
#東京消防庁編
(タイトル)社会人初めての洗礼を受ける。
半年間の消防学校の研修を終えて、都内の消防署に配属された。
日夕点検というものがあり、点検を終えてポンプ車の前に整列する。
革靴からスニーカーに履き替えるタイミングで、自分のスニーカーが無い。
消防学校時代も、あまりよろしくない素行が目立ち署内では目をつけられていた。
特に元救助隊の人たちには目をつけられていた。
「これ靴隠されたな。」
絶対にコイツだろ!笑
て分かってたからその人の靴を履いた。
「整列し〜ちゃお。」
速攻違う出張所に飛ばされた。
訓練とかは純粋に楽しんでやれていたし、完全に浮いててもめっちゃ笑顔で挨拶してた。
あんま何も感じなかったのと周りの目とか心底どうでも良くて居心地良かったから。笑
唯一違和感があったのが、
大人になった今、当たり前に分かるし、平和なことは当然良いことだけど、
20歳の自分にとっては、訓練の毎日で試合がない日々。
暇だな〜と思ってた。
自分で事務仕事作ってその事務作業をこなす繰り返し。
「もうー、これなんの時間だよー。」
丁度コロナ期来た時、同年代の若い人達がバンバン自殺した現場に立ち会った。
20歳そこらの自分にとってはかなりの衝撃だった。
飛び降りた人たちが自分の胸ぐら掴んで助けてくれと言う。
自分で飛び降りたのにって思った。
可哀想だとかは正直思わなかったけど、ありのままの自分で仕事してない自分と重なった。
なんの疑いもなかったけど、自分の選択で消防士なってなくね??
兄たちの背中を見て育った自分、ずっと敷かれたレールの上を歩いてきた自分。
全然気づかなかったけど、本当にこれで良いのかと初めて思った。
コロナで休みは外にも出れない時、居ても立っても居られなくなって、スマホを置いて海外に一人旅しに行った。
自分の感情、悲しみとか怒りとか、何かやるせない気持ちを何故かクリエイティブに昇華すべきだと思って、高校くらいから地元で流行ってたカメラを持って、写真を撮ったり、素人なりに映像を編集したりした。
今でも鮮明に残ってる体験だった。
昔から父の影響でusのbillboardチャートのMVとか見てたし、センスの良いファッション、音楽とか映画とかを最初に発掘してくる奴がイケてるみたいな地元のノリもあったし、
結構クリエイティブには触れてきてたから、もっとプロの現場を見てみたいな〜と思って
Instagramで良さそうなクリエイター?にガンガンDM送って、無償でいいのでアシスタントとして現場に連れてってくださいとお願いして現場に付いて回った。
気がつけば僕は東京消防庁を退職した。
#退職後編
特別、カメラマンになりたかった訳でもない。
たまたま、クリエイティブをしたかった想いと自分の好きなカテゴリーが全部リンクしててハブみたいになってるのがカメラだった。
そこそこ技術も身について、制作が板に馴染んできた頃、消防士時代の同じ署の先輩だった大地さんが結婚式のオープニングムービーを依頼してくれた。
同年代のクリエイターの子を誘って一緒に撮影して編集したものを喜んでくれて、
おれこの仕事合ってるかも〜と思ったタイミングだった。
それから2、3年は、大手広告代理店の撮影依頼を貰えたりアーティストの専属になれたり、順調だったが長くは続かず、気づけば貯金は3万円を切っていた矢先に守るべき家族ができた。
カメラの仕事だけでは食っていけなくて、配達しながらお金を稼いで乗り越える日々。
まずは家族が最優先だったし、なによりも大切だっだが、自分のキャリアは終わったと思った。そこそこ稼げていたし、これで一生終えるかも。
ふと大地さんに、今の状況を説明してなんでもやるので仕事くださいって連絡した。
後日、すぐに求人用の会社紹介動画の依頼をくれてそれがインビジョンとの初めての関わりだった。
それから1年間は、配達しながらインビジョンの制作案件をこなす日々。
配達の軽バンでMacBook開いて編集してた。
2025年の1月、制作が止まってまた収入がなかった自分が喫煙所で誠吾さんと話してて、インビジョンからのお仕事くださいとお願いした。
誠吾さん「じゃぁ、企画考えてよ」って帰り道笑いながら言ってくれたのを鮮明に覚えてる。
たしか金曜日でその2日後の日曜日にはスライドが送られてきて、「やってみよう_働くドキュメンタリー」14本構成の制作依頼をしてくれた。
本当にありがとうございます。
入社後の光と影
幸福が現実になるのは、それを誰かと分かち合った時だ。
インビジョンとの仕事が始まってからも、ワンマンで仕事してた。
企画、撮影、編集全て1人でやってた。
思えば、幼少期から柔道だって1人で戦う格闘技。消防士もチームだけど個々の能力次第でしょって思いながら仕事してた。
何事も1人で完結できるのがカッコいいでしょ。そう思ってたし、チームで動くのがめんどくさいとすら思ってた。
今までずっと閉した世界観の中でしか仕事していなかった。
でも、インビジョンとの仕事する前から1人でやってることに対して虚しさは若干あった。
喜びを共有する相手もいないし、クライアントの為に動いてただけ。
そんな中、働くドキュメンタリーを制作する上で、誠吾さんから撮るのに一人一人どんな人なのか理解しないと作れなくない?当たり前だけど、その選択をしていなかった。
日程の調整含め、自分以外のテリトリーに手を出すのにかなり苦戦した。
やり方も分からない。
インビジョンはチームワークを本気で大切にしていて、何処の出かも分からない自分に真剣に向き合ってくれて、一緒に構成を考えてくれた。
「チームで勝つ」ことが、文化として根づいているから。
制作していくうちに徐々に価値観が変わっていった。
「そっちの方が楽しいかも」
1人じゃ感じれなかった、高揚感とか達成感がチームで感じれるようになった。
これこそが本当の仕事なんだと思う。
今はクリエイティブディレクターとしてチームを引っ張っていく大人として日々楽しみながら仕事ができている。
エネルギーの源泉
DON'T WORRY ME TOO
自分は色んな人に支えられて生きてきた分、自分も誰かの支えになれるような大人でありたい。
それが自分のクリエイティブによって誰かの支えに少しでもなっていたら最高。
気ままに肩の力抜いて一生仕事で遊んで死ねたら最高の人生。
自分の家族、子供たちもそうあって欲しい。
それが自分の軸でもあり、すべての行動の源泉。
心が動くモノ・コト108
- 植松兄弟
- 宇宙兄弟
- 映画:イントゥザワイルド
- 映画:幸せのちから
- 映画:幸せの隠れ場所
- 映画:グローリーロード
- 映画:最強のふたり
- タイタニックのサントラ
- 横浜市金沢区並木のジャスコに行く橋
- 地元の見晴らし公園
- 達弥が酔っ払うとよく言う「もうええて。」
- CONTAX T2
- Canon EOS R3
- KODAK PORTRA 400
- PROVIA100F ポジフィルム
- フロムソフトウェア
- LEVI'S 80s 501
- OLD GAP ウールカーゴパンツ
- 1DX Mark2のシャッター音
- 白ホリスタジオの緊張感
- volvoエステート940
- 大地さんと亘と行く「鶴松」
- 実家の庭
- 実家の犬「小夏」と「ポロン」
- 並木の工場地帯
- 並木から海の公園の方に向かう道
- XXXTENTACION_changes
- 兄さんが酔っ払うと言うお前ら結婚式呼んだのに誰もきてくれなかったていうノリ
- 自分で作る餃子(レベチ)
- 材木座海岸
- 御成通り
- Barchie's kamakura
- 日本
- アメリカ
- バリ島から頼りにならない船で行くレンボンガン島
- 一口目で後悔する地元にある金沢家のラーメン
- カタメ?コイメ?てカタコトで聞いてくる金沢家のおばちゃん
- ウブドにあるバンブーインダーってホテル
- ショベルヘッドのヴィンテージハーレー(大型免許持ってないけど)
- アレンアイバーソン
- 圧倒的理不尽だった横浜高校柔道部生活(男臭い青春だった)
- 柔道部時代の同期
- 消防士時代の同期
- 地元の友達
- 信じられないくらい硬いグミ
- あっつあつのグラタン
- シングルフィンのミッドレングス
- 激混みを制してやっと乗れた瞬間にするパーリング
- 材木座で台風前にたまに来る超キレイなオフショアの胸サイズ
- 消防学校時代の国旗を降納するときに絶対に笑っちゃいけないのに耐えられなくなる空気感
- 三連梯子をずっと伸ばせない3小隊の濱道
- 教官室に入る時に警帽を忘れて3ヶ月間日直やってたルイスと翔太
- サイバーパンクエッジランナーズ
- 君のいる町
- 珊瑚礁のカレー量多くて食べきれなかった時に、嫁が代わりに全部食べてた姿
- 歯磨き後に吸うキャスター5ミリソフトの背徳感
- 泰司がくれたジッポライター
- 泰司がくれたイッセイミヤケの20sSSコレクションのプリーツカーゴパンツ
- 大悟と家系ラーメンを再現させようとする休日の無駄な時間
- 駄菓子屋
- 地元でやる2対2のウイイレ
- 地元でやるずっと終わらないスマブラ
- 中目黒のWorkersで飲むカフェモカ
- 代々木八幡のFUGLEN TOKYOで飲むホットコーヒー
- 湘南国際村で見る星
- 炊き立ての白ごはん
- 逗子海岸から立石海岸に向かう道
- DROP INのウッドデッキ
- dubのP-47 Herringbone jacket
- 80s converse All STAR
- Alden cordovan 993
- 嫁からもらったtomwoodのネックレスとピアス
- MOSCOT MILTZEN
- 手繋いで歩いてる両親
- 兄弟+父さんとオンラインでCODやってる時に聞こえてくる長男嫁の怒号
- 朝5時の渋谷
- ウォーターボーイズとか見てた平成のあの頃
- silver magazine
- ロードマップのない世界
- お風呂に浸かりながらアイスボックスにデカビタ
- 新幹線でMacBookを開いて仕事する姿勢だけ見せてすぐ寝る自分
- 大盛り無料て書いてあるとこ
- 自分で作るパスタにチーズ削ってかけてる時の自分
- 理想の女性は目元にホクロがある色気のある女性だが、現実はそう甘くないこの人生
- 革靴磨き
- 囲碁将棋の根建が言う「やってみろテメェ」
- カルピス(お歳暮でもらう方のやつ)
- ペヤング超大盛りにおにぎり2つ(調子良い時はファミチキもいっちゃう)
- 由比ヶ浜にある889のシーフードガパオライス
- Barchie's のスペアリブプレートlargeにソーセージトッピング
- マックのテリヤキバーガーにサイドはポテト、飲み物はファンタグレープ
- ルクソーJr.のLEGO
- Cartier 80sサントスカレ(30歳になったら絶対買う)
- うしおととら
- からくりサーカス
- Safariのプライベートページの歴戦の猛者だけが残る、お世話になってきた往年の作品集(文化的資産)
- バイザウェイのハンバーガー
- コストコのホットドックとコンボピザの2セット
- 琴と奏大と詩
- ベンチプレス後のインクラインダンベルプレス
- 傾斜MAXのウォーキングした後の大量の汗
- サンタマリアノヴェラのポプリ
- お香
- オーディオテクニカのレコードプレーヤー
- ハーマンミラーのイームズ
- ZipDeeのイス
- エアストリーム
- インビジョン







